待ち望んだ妊娠
「妊娠反応はありますね。」
不妊治療の医院で、妊娠結果を聞いた私は、頭が混乱状態になってしまいました。これまで、幾度となくリセットを繰り返してきたから、ある程度覚悟は持っていました。
それに加えて、先生の素っ気ない反応に、半ば気落ちしていたところ、診察室を出る間際、顔なじみの看護師さんが声をかけてくれました。
「kobitoさん、長い間よくがんばりましたね。」
この言葉で、初めて、前に進んだことを自覚しました。
待合室で会計を待っている間、急に目頭が熱くなってきました。
この日を、どんなにどんなに待ち望んだんだろう。
病院を出た瞬間、大粒の涙がこぼれてきました。これから仕事に戻らないといけないというのに。
職場近くの公園に行って、夫くんに電話して、また泣いて、、、。
自己紹介
34歳で結婚後、すぐに妊娠を希望しましたが、なかなか子宝には恵まれませんでした。
その頃の私はどうしても病院での治療は嫌だったので、自力で妊娠できる方法を様々試しましたが、
3年半後、病院での治療を開始しました。
病院では、タイミング法、人工授精を試すものの妊娠にはいたらず、通院から1年半後、体外受精を決意することになります。
体外受精を始める前、「3回までにしよう」と決めていました。ぜったいに3回で作ることを目標に、夫と集中的なメンタルトレーニングを行い、これまで少しづつ進めていたフィジカルトレーニングも加速させました。
心も体も強くなったタイミングで体外受精を行い、1回目の採卵・1回目の移植で妊娠することができました。
仕事が最優先の独身時代
高校生の頃から目指していた職業に就職し、この仕事が絶対と思ってやってきました。
就職氷河期時代、なんとか掴んだ職です。
20代後半から30代前半にかけては、完全にブラックな部署でした。繁忙期は月200時間の残業、2ヶ月くらい休みがないのは普通。
「このままじゃ、子供ができません・・・。」
上司に言おうと思って、幾度となく喉まで出かけました。けれど、独身の私は、自分にそんなことを言うことも許しませんでした。
働きすぎの代償は、大人喘息という形で現れました。
今となって思うと、体を酷使していたことは、明らかに不妊に影響していたんだろうと想像がつきます。
「大切なものが何か」34歳での結婚をきっかけに、ようやく気がつきました。
子供はすぐにできるだろう
結婚後すぐに妊娠したとしても、高齢出産になるのは確実。でも、まさか自分が不妊に悩むことになるとは、その頃はまったく考えていなかったのです。
実家で自然食を心がけて育てられていたせいで、健康的な食事には気を遣っているという自負がありました。
結婚して妊娠を考えてからは、学生時代から好きだったお酒もセーブしました。飲みに行っても多くて2杯まで。
人一倍、食生活に気をつかっているし、健康的なはず。
不妊治療は自分には必要ない。そう信じていました。
でも、そんなことはなかったのです。
このあと、これまで酷使してきた体や、冷えと闘うことになるのです。
ブログを書こうと思ったきっかけ
私は、さいわい、1回の体外受精で妊娠できました。
もっとつらく長い治療を続けている人にとっては、まだまだ経験不足だとは思います。
けれど、「必ず3回の体外受精で妊娠する」という強い目標とともに行ったメンタルとフィジカルの強化は、今妊活を頑張っている人に向けてお伝えできることがあるのではないかと思い、ブログを始めることにしました。
高齢で妊娠してみると、「どうやって妊娠したの?「治療していたの?」と話しかけてくる、子供を持たない人がたくさんいました。
思っているより、本当にみんな苦しんでいることを、身をもって実感しました。
私に声をかけてくれた人、
不妊治療に同じ病院に通っていた人、
なにより、すべての子供が欲しい人に、子供ができてほしい。
1人でも同じような境遇の人に役立ちたい。このブログは、そういう思いを持って書いています。
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コビトの妊活記録はこちら
kobitoここでは、私が妊娠を希望してからクリニックで不妊治療をするまでの経過をまとめています。 妊活1年目(35歳) この年のまとめ 34歳の頃から妊娠を意識しているも、本格的に「妊娠したい」と取 ...
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